【平成30年度 退職】中村 晋也 先生

◾️ 中村 晋也 先生

新法人三重高等学校になっても、建学の精神「学術とスポーツの真剣味の殿堂たれ」は三重高校でも三重中学でも引き継がれていきます。私は、そんな両校に長きにわたり奉職し、文字通り学術とスポーツの両面において、素晴らしい経験・結果に居合わすことができました。その主人公である皆さんとお互いに取り組んだ同僚に感謝します。さて、過ぎ去ったことばかりを語ってばかりではいけません。永久に続き発展する両校であるために、かつて受験生に送った言葉を記しておきます。「思うだけなら、夢は夢。夢に叶う努力が肝要」
かつて出会った皆さんも、最近出会った皆さんも、私の財産です。いつかどこかでの再会を楽しみにしています。

【平成27年度 退職】藤原 直子 先生

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◾️ 藤原 直子 先生

三重中学、三重高校には学生として6年、教員として12年お世話になりました。三重中学で
英語に出合って英語が好きになり、英語教師を目指すようになりました。そして英語が好きになったきっかけとなった学校で教えることができ、本当に幸せだったと思います。たくさんの先生と生徒と出会い、教師をすることができ、生まれてきてよかったとさえ思います。この学校を去るのは寂しいですが、ここで得たことを誇りにこれからもがんばっていきたいと思います。本当にありがとうございました。

【平成27年度 退職】馬場 一美 先生

馬場先生(今)

馬場先生(若い)

多くの思い出を胸に!!
感謝の気持ちでいっぱいです。

◾️ 馬場 一美 (旧姓 坂井)

昭和41年4月に松阪女子高校に入学をし、中京大学へ入学、卒業後松阪女子高校に勤務をさせていただき、平成6年より男女共学の三重高校で43年間、梅村学園には50年間多くの諸先生・後輩の皆さんとの出会いのもと、学ばせて頂きました。 
梅村清明先生・梅村すみ子先生の書にある、校訓真剣味・真善美は人生を謳歌する大きな柱となり、力強く身の引き締まる思いで、今ここまで歩むことが出来ました。
毎年後輩たちが巣立っていくたびに、夢をもらったものです。今後も卒業生として大きな誇りをもって過ごし、惜しむことなく母校の発展に協力をして行きたいと思います。本当に感謝の念でいっぱいです。有難うございました。

【平成27年度 退職】西川 武郎 先生

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◾️ 西川 武郎 先生

 平成28年3月で三重高校を定年退職いたしました。母校の教壇に立てたこと、数多くの生徒に出会えたこと、ある時期からは、生徒の中に教え子の子供さんが入ってきたことなど、本当に楽しく、恵まれた教員生活でした。
高校時代から半世紀が経ち、時代とともに学校の中も外も、大きく変わりました。
昔を知る同窓生からは、「本当に良くなったなぁ」と言われるたびに、誇らしい気持ちになるのは、本校に長く勤めた者の特権のように思います。お世話になった皆様に厚く御礼申し上げます。

【平成27年度 退職】垂髪 隆一 先生

垂髪先生

垂髪先生(若い)

◾️ 垂髪 隆一 先生

 昭和49年4月1日、三重高等学校に国語科の教員として着任しました。建学の精神「学術とスポーツの真剣味の殿堂たれ」この言葉に惹かれました。勉強を通して人づくりをする。スポーツを通して人づくりをする。
 私は、この世に生命を授かるということは、一人ひとり何らかの使命や役割を持って世の中の役に立つことだと考えています。そこでその生徒の持っている特性や個性を輝くようにすることが大切であり、私たち教員の役目だと考えています。
 私は槙原敬之さんが作詞・作曲した『世界に一つだけの花』が大好きです。いい歌ですね。そして、「もともと特別なOnly one」なのです。その人が内に持っているものを、損なわないように引き出してあげて、学校の成績だけでは評価しないということです。
 私と出会った多くの卒業生の皆さん、いつも側面から支えていただきありがとうございました。これからも梅村学園三重高等学校の限りない発展をお祈りします。

【平成26年度 退職】冨山 眞 先生

冨山先生冨山先生

冨山 眞 先生

生徒として6年、教員として42年。不遜に聞こえるかもしれませんが三重中高とともに歩んだという気持ちが強くあります。卒業生の皆さんと接するたびに「学校は卒業生が財産」という言葉を実感しています。そして、教職を退く今、縁のあった卒業生の皆さん一人ひとりに、そして私の成長を支えていただいた皆さん一人ひとりに心よりお礼を申し上げます。母校三重中学校の校長として教職を終えることがきたことはこの上ない誇りであり、喜びです。ありがとうございました。

2015年3月31日 | カテゴリー : 思い出の宝箱 | 投稿者 : 三重高等学校同窓会事務局

【平成25年度 退職】森川 繁 先生

森川  繁 先生

二十数年前の卒業記念として中学のグラウンド(旧望湊館)の垣根として山茶花を植えました。その次の年には、五号館西門付近にも山茶花を植えました。植えた後の数年間は弱々しく、立派に育つのだろうか不安でしたが、二十年以上の歳月を経て、大きく育ちました。 植えた当時は一メートルに満たないものでしたが、今ではその丈は背丈ほどになり、その存在感はたくましくもあります。成長が長い目で見ないとわからない植物でもそれほど大きく成長するものですから、長い年月で人は立派になってくれると思うとうれしく思います。
皆さんと私は三年間という短い期間、三重高等学校でともに学んだだけですが、さぞかし立派になられていることだろうと思います。多感な青春の時期に教師としてともに過ごせたことを感謝します。本当に長い間ありがとうございました。

2014年3月31日 | カテゴリー : 思い出の宝箱 | 投稿者 : 三重高等学校同窓会事務局

【平成24年度 退職】菅原好彦 先生

菅原先生菅原先生

菅原  好彦 先生

昭和58(1983)年4月から、平成25(2013)年3月までの30年間、男子校時の三重高校から始まって、共学になった三重高校でお世話になりました。これほど長く勤めることができたのは、卒業生の皆さん、職場の仲間に恵まれたからだと思います。本当にありがとうございました。これからは、非常勤講師として、三重高校で働かせてもらいます。
さて、この拙い文を書くために、最初の3年生を送った時の卒業アルバムを探してきました。顔写真をクリックしてもらうと当時の自分の顔が出てきますが、確かに若い。当時は情操教育をもっと!ということで、美術の教員になったのですが、戸惑う日々の連続だったことが懐かしく思い出されます。この30年の歩みでどれほど自分が進化できたのか・・・、まあ、深くは問わないことにしましょう。
しかし、三重高校は今もダイナミックに生まれ変わろうとしています。その歩みと今しばらく並走できるのは楽しみでもあります。

2013年3月31日 | カテゴリー : 思い出の宝箱 | 投稿者 : 三重高等学校同窓会事務局

【平成23年度 退職】馬場吾郎 先生

馬場先生馬場先生

馬場 吾郎 先生

無事、定年退職を迎えることができました。過ぎてしまえばアッと言う間の41年で、この間、思う存分やりたいことをやらさせていただいたと思っています。やり残した感はありません。
特に、最後の2年間は創立50周年記念事業の仕事に強く携わらせていただいた訳ですが、そのお陰で同窓会の沢山の皆さんともお近づきになれたと思っています。こうした巡り合わせのすべてに感謝あるのみです。
今後ともよろしくお願いいたします。

2012年3月31日 | カテゴリー : 思い出の宝箱 | 投稿者 : 三重高等学校同窓会事務局

【平成23年度 退職】山本 均 先生

山本先生山本先生

山本 均 先生

私は、昭和49年から三重高等学校で働くことになりました。三重高等学校、松阪女子高校そして統合した三重高等学校、あわせて38年間勤務をしました。
赴任した当時の三重高等学校周辺には食堂も数件しかなく、道路も今のようにスムーズには連絡されていませんでした。住宅もあまりなく、田んぼと畑がたくさんありました。驚くと思いますが、学校裏手の山、通称、久保山では松茸が採れたものです。今のように、校舎も含めて完璧という状況ではありませんでした。しかし、当時の三重高校には情熱と感動が渦巻いていたような気がします。実に学校も若く、先生方も若かった。
私は、この38年間に生徒からたくさんの感動を頂いたような気がします。せんだって卒業生が「退職ご苦労さん会」をやってくれました。本当にありがたいことです。その会に参加した教え子が「厳しい学校だったが、逆に卒業してから、なぜか、三重高校のよさが、じわじわ出てきました。三重高校の卒業生として誇りを持っています。」と言っていました。あの暴れん坊の教え子がと、びっくりしました。本当に教員として嬉しい言葉でした。
最後に、38年間本当に充実した教員生活が出来たことに対しまして卒業生、在校生の方々に深く感謝をする次第です。

2012年3月31日 | カテゴリー : 思い出の宝箱 | 投稿者 : 三重高等学校同窓会事務局